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なんくるなるさぁ〜!


 ■ 2004/12/05 (日) 自己評価


「セルフ・エスティーム」という言い方をします。この「自己評価」。
前回の最後に私の自己評価をお話しすると予告しておきましたので、
それをお話しようと思います。

私は「自己評価は低い」です。
低くなかったら今こうして日記を書いていないでしょう。
それは前々回にお話した「人は鏡」を使ってもわかります。
私のおかれている状況は一番初めの日記でお話しましたが、
決して好ましい状況でありません。

教員時代もそうでした。専任と同じだけ、いやそれ以上の授業時数を持って、
仕事もしていたのに、給料は雲泥の差でした。
本来受け取るべきものを受け取れていないというは、
まさしく「自己評価が低い」現れであると私は考えます。

自分の願いが思いのままに叶うということは、
自分で自分に「その思いが叶ってもいい」と許可を与えたからだと考えられます。
表面意識では許可を与えている思っていても、
案外人というのは深い部分でそれを受け取りたくないと思っていたりするものです。
受け取りたくないというよりは「受け取るに値しない」と思っていたりします。

ある特定の願いがあって、叶わない状況がもしありましたら、
こんなことをしてみてください。
「○○が叶わない。なぜならば××だから。」
○○には願いを××には理由を思いつくままに入れてみてください。
案外たくさん出てくるはずです。

大抵の理由の根底にあるのは
「受け取ることが怖い」と思っている意識だったりします。
「こんなにいいもの受け取れない。受け取ったら悪いことが起こるかもしれない」
なんて考えているかもしれません。信じられないでしょうがよくあることです。

もちろん「受け取るに値しない」と思っているかもしれません。
とても多い「受け取るに値しない」理由には女性の場合「私が女だから」とか、
小さい頃繰り返し繰り返し「お前は悪い子だ」と叱られていたことが、
深い部分にしみこんでいて、
「自分は悪い人間だから受け取ってはいけない」と思ったり、
探ってみると本当に不思議な理由が出てきたりします。

こういった不思議な理由が何層にもわたってあるので、
ここを掘り下げていくのは本当に大変です。
いまだに私にも私の本当の理由がないかはわかっていません。
可能性は挙げればきりがないものだったりしています。

結論は自己評価をただ高めればよいのです。ただそれだけなんです。
あっけないんですが、これが難しいのです。
このことをずっと考えています。
それこそいい案があればどなたかにお教え願いたいと思ったりもしています。
まぁそれでも少し糸口は見つかりつつあるのですが…。
そのことが次回お話できるかわかりませんが、
今の私の関心はそこにあるとお思いください。


名前

内容

なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>日本語では「自己評価」という言い方をしますが、文字通りでは本来はありません。今回の日記の冒頭にも書きましたように、「セルフ・エスティーム(Self-esteem)」と心理学の世界では呼ばれることのことをお話しました。この「セルフ・エスティーム」に適切な日本語訳がなく、このことを題材にした心理学の本のほとんどが「自己評価」と訳されて書いてあります。概念的には大人の少年さんがおっしゃるとおり「自己認識」が大前提にあります。不当に低いことか困難な現実を引き寄せてしまっている人が、特に女性の場合多いことから、女性について言及されている本が多く出版されています。「…に値しない」というのが宗教的(?)哲学かどうか私にはわかりません。特定の信仰をもっているわけではありませんので。ただ今までほとんどお話していない私が学んだ心理学の世界は、土台となる部分に「キリスト教」的概念が入っているようですので、そのせいかもしれません。アメリカ人がアメリカ人のために始めた心理学ですので、キリスト教の概念と向き合う必要がどうしてもあったようです。 (04/12/08 01:24)
なんくるなるさぁ〜 ぺけぽむさん>解説をありがとうございました。 (04/12/08 01:16)
大人の少年 「結論は自己評価をただ高めればよいのです。ただそれだけなんです。」この文面の”ただ、高めればよい”は人によっては都合のいい自己評価とも受け止められますし、文章からも都合のいい自己評価と読み取る人がいると思います。今回の日記では、自己評価という言葉を使っていますので、あえて・・評価という言葉を私も使いますたが、本来は自己評価というより、自分がどんな人間なのかを認識する事(自己認識)のほうがもっと大切だと思います。そもそも「・・・に値しない」先の日記も今回の日記も使っておられますが、少々宗教的哲学にこだわりすぎているように思いますが、いかがでしょう?(勿論、信仰の自由は尊重しますが・・) (04/12/06 21:06)
ぺけぽむ 縋っていないというのはあなたについて当てはまると思いますし、コメントにはそう書いておきました。>…縋っているのではないかと思うのです。それが出来なかった貴方は…としているでしょ? 貴方が縋っていると言うのは誤読です。縋るという言葉にむやみに反応なさいませんでしたか?思いを剥ぎ取るとは、長めに引用しますと、>もちろん「受け取るに値しない」と思っているかもしれません。とても多い「受け取るに値しない」理由には女性の場合「私が女だから」とか、小さい頃繰り返し繰り返し「お前は悪い子だ」と叱られていたことが、深い部分にしみこんでいて、「自分は悪い人間だから受け取ってはいけない」と思ったり、探ってみると本当に不思議な理由が出てきたりします。こういった不思議な理由が何層にもわたってあるので、ここを掘り下げていくのは本当に大変です。とある部分ですね。外在的なものに言及のない(エゴイスティックと言うことではないが、ある意味で自己中心的な)自己言及なので結論がです、要するに内閉してしまって現実的な内容をもてないと言うことです。つまりそのやり方では現実に向かうための針路は出てきません。ただ、どうすればいいかという基準は、多分どうしたやり方をしても実定的には出てこないです。それは基準は自分の外にあるからで、そういう審及を自分で自分に与えるのは困難なのです。自分の存在を貴方が自分でこしらえたわけじゃないでしょ? それと一緒です。つまり、手痛い現実の結果から「これをやってはいけなかった」という後知恵を受け取ることは出来ますが、しかし実際の審判は自分の思いも拠らないところでなされているので、そのルールを完全に把握することは出来ないのですよ。ただ、結果は行為すれば必ず出てくるので、「やってはいけないこと」の共通則を見出すことは出来るでしょ? ルールが不明な以上、行為はその都度賭けにならざるを得ないけど、ただ過去の経験からオッズを下げることは出来るはずです。で、最大の懸案である「自分を丸ごと見据える視点」ですが、これは、本当は、不可能です。審及の基準が自分の中にないという前提からすれば、自分を丸ごと見据える視点というのは、実際には自分の中に創設できないのです。自分の身の上におきることの一切を知ることが出来るのは人生が完結する瞬間に他ならないはずだからですね。人生の途上にある生者は、未だ生きている以上、仮想的にそれを抱くことが出来るだけです。しかし、仮想的であれなんであれ、「自分は死ぬ」という把握を敢えてすることで、自分がいましている様々なことどもの意味を、そこから規定することが出来ると思うのです。まあ、「死を想え」という格言みたいな感じですが、要するに死ぬ事を意識して関して覚悟すればいいということです。死を前にしての蛮勇みたいなことではないですので、その点、よくお聞き届けください。 (04/12/06 11:08)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>過大評価も過小評価も確かによくないです。ただここで問題にしているのは、「望みが叶う」といったときに、叶わない現実があって、それが叶わないのが「自分は受け取るに値しない」と考えていることにあるのではないかという視点から、自己評価について触れています。都合のいい評価の話とは少し場面が違うように思うのですが、いかがでしょうか? (04/12/06 02:00)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>考えなくてもわかってたりする部分を意識してみませんかという提案であったりします。 (04/12/06 01:57)
なんくるなるさぁ〜 ぺけぽむさん>こちらこそ、はじめまして。長いコメントをありがとうございます。「縋る」…すがると読むんですね。私ははじめて知りました。まずすがっていないので、そこは誤解かと思われます。それから「思いを自分から剥ぎ取りすぎる」とはどのことを指されているのでしょうか?それから一番最後ですが、自分を丸ごと見据えられる視点を創造すればいいとあります。具体的に何をするのでしょう? やるかどうかとおっしゃっていますので、ぺけぽむさんはなされているのでしょう。ぜひお聞かせください。 (04/12/06 01:56)
なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>是非考えてみてください。自分を責めるにはそれなりの理由が必ずあるものです。 (04/12/06 01:50)
なんくるなるさぁ〜 th1969さん>それは素晴らしいことではないですか? そういう方がたくさんいる方が私はうれしいです。 (04/12/06 01:48)
大人の少年 自己評価は、過大評価も過小評価も良くないですね・・。私も含め最近は、自分の都合のいいように評価してしまう人が多いように思います。 (04/12/05 22:23)
幸運を祈る 自己評価ですか〜。自分はあんまり自己評価した事ないですね・・・考えなくてもわかってたりです・・・ (04/12/05 18:57)
ぺけぽむ 初めまして。とりあえずコメントを。まあ、悪い評価が出てくるのは、「評価」するからでしょうね。もちろん「良い評価」も評価するからこそ出てくるのでしょうけど。「評価」しなければそもそも上だの下だの考えなくていいわけですから。そうやって「良い」と「悪い」の二つの意味づけだけで自分の存在を割り切れるはずがない。そうやって考える地平から離れない限り、恐らく貴方は穴倉から出られないのではないかと。要するに良いか悪いかなど気にするな、ただ上手く行ったときのことは手本としてよく覚え、うまく行かなかったことは改善の材料としてとっておく、それでいいと思います。成功哲学に縋る人の多くは自分の道に自信がないので無理して「これこそ道」と信じ込むために縋っているのではないかと思うのです。それができなかった貴方は、たぶん自分に絶対にウソのつけない人なのだと思います。いいことだと思うのですが、しかし純粋であろうとして思いを自分から剥ぎ取りすぎると何が自分の欲望だったのか解らなくなると思います。現に前回の書き込みでは、何が「成功」なのか良く分からないでおられるようですし。別に「成功」なぞせんでもでよいと思うのですが。「成功」しないと生きてる意味がないんでしょうか。「成功」が価値だったら「成功」しないと自分の評価っていつまでたっても上がらないんじゃないですか? 今貴方がたどっている道は単なる自分探しに堕しかけているのではないかと危惧します。良いだの悪いだのという「評判」のレベルではなくて、自分を丸ごと見据えられる視点を創造すればいいと思います。出来るかどうかではなくて、やるかどうかの話です。 (04/12/05 17:49)
ロールキャベツ 自分自身をせめなかったらどんな悪いことがあるのか・・考えてみます。 (04/12/05 13:13)
th1969 ここの日記書きに自己評価の高い人がいたら、その人は早いうちにここを去る可能性の高い人でしょうな。 (04/12/05 12:08)


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